ねえ、すこし感情まかせな言い方をしてしまいますが、乱暴な表現はゆるしてくださいね
ときどきむしゃくしゃして物にあたったり、大声を出して"ご乱心"あそばされたことはありませんか
ケンカしたあと相手を殴ってやりたいと衝動にかられたことはありませんか
中学生だった私は、からだの方は大きかったのですが体力がなく、それに気が小心だったので部活の先輩や先生から八つ当たりの対象にされていました
そんなときは悔しくて、実際に行動化したら犯罪になるようなことを"空想"していましたね
でもクラスメートにはめぐまれていました
それは1人、2人は暴力的な同級生もいましたが、なんとなく家が貧しい者同士、ということで攻撃の対象にはなりませんでした
だから私は、いまでも形だけの権威にへばりついていばっている人をみるとむしゃくしゃしてしまいます
意地悪をしたくもなります
でも殴ったり、姑息な手段をつかうほど勇気もなければ、発覚したとき背負いきるいさぎよさもないので、その場を離れます
そしてもっと"素"で生きようとしている人に近づき、関わるエネルギーを燃やしています
最近、とかく自分にとって不快なこと、受け入れきれない状況を抱えると、簡単に「ストレス」と呼ぶうような日常になりました
そして「ストレス」といえばすぐに被害者になれて、その負担を誰かほかの人にあずけてもいいような風潮になりつつあるように思えてなりません
こうなると、どうしても自分の心の傷口にみがきをかけすぎてしまいがちです
だから憎しみや攻撃性ばかりを生み出し、そこから一歩も踏み出せなくなってしまいます
すると、すてきな人との出会いからストレスを発散するというチャンスを見逃してしまうことがあるのです
暴力は道徳、倫理、人権からいっても絶対に慎まなければならないことです
それにね、衝動を鎮めるためとはいえ、暴力にかえてエネルギーを費やしてみたところで、新たな憎しみを生むだけでは"損"ですね
いつまでもそんな不快感にかまってはいられません
すてきな人との出会いの瞬間を"ご乱心"や「ストレス、ストレス」と連呼して先送りしているわけにはいかないのです
どうにも気分がすっきりしないときはどうすればいいのですか
そうだね、カリカリする自分を責めないで、すこしゆっくり気味に歩いている人に自分の心とあそんでもらうことですね
同じ関わるエネルギーを考えたら、きっとその方が"お得"だよ
でもね、私もこれを知ったのは20歳すぎてからかな
いや、まだ修業中かもしれませんね