ねえ、あなたは友だちの名前を
しっかりと、勇気を出して、あきらめずに、面倒がらないで呼んでいますか
仲のよい友だちのときには、こんなこと考えてもいないよね
自然に相手の名前を呼んでいると思います
でもね、けんかしたり、なんとなくこれまでに意見が合わなかったり、気持ちの通じなかったことが多いと声をかけにくいものです
いや、そのときの心の疲れかたによっては
かけたくないときもあると思います
無理して"義務的"にかけると顔が強張ったり、不自然なしぐさになってしまい、これまで以上にぎこちない関係になることさえあります
けっこう気軽に声をかけたり、あいさつできない関係は気が重く、つらいものです
相手との関係に冷めてしまえば、そんな気疲れ、気苦労もなくなるかもしれませんが、その一方で将来ニヒルな大人になってしまうのか、という不安もつのってくることでしょう
人に対して冷めた見方を身につけてしまうと、信頼とか愛情とか希望という感性が薄まるばかりです
それも自分の将来を考えると、ちょっと怖いですよね
それに、少しばかりいやな言い方になりますが、自分が相手に対して不快な感情をもつように、相手も自分に対してそんな気持ちを抱いていることはあるものです
こちらの感情があちらの感情になり、あちらの感情がこちらの感情になりがちです
みんな好き嫌いで苦労しているんですね
それでも長い人生、一人ひとり時間をおいて仲直りしていく努力をしています
だって、いつまたその人のお世話になるかわかりませんからね
時間は何時間と決められないから気もあせるし、また、ガックリするときもあります
ただ、この真実だけはおぼえておいてくださいね
人に声をかけるということは、わずかといえども断られる危険・可能性、リスクを背負って声をかけているんですね
唯一、こたえてくれるだろうという信頼を支えにしてです
そう思うと、ちょっとオーバーかもしれませんが、人が声をかけたり、目で合図してくれるということは"捨て身"の覚悟でしてくれているということです
だとしたら、人から声をかけられたそのときは、どんなに調子が悪くても「ハイ」と感謝を込めて言おうね
人の"捨て身"の勇気を考えたら、人とつながることをあきらめないで、ニヒルになることで"楽"しないで、お友だちの名前を呼んでいこうね